2015年02月26日
1475年 松平親忠が大樹寺を創建
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1475(文明7)年の出来事
1475年 松平親忠(まつだいらちかただ)が大樹寺(だいじゅじ)を創建
三河の松平親忠(まつだいらちかただ)が、1467年に尾張の軍勢との間で行われた戦いによる死者を弔うために大樹寺(愛知県岡崎市)を創建。
大樹寺(だいじゅじ)
1475年、三河の安城松平家の初代当主で、安祥城主の松平親忠(まつだいらちかただ)が戦死者供養のため、大樹寺を創建した。
大樹寺は松平親忠によって、松平家の菩提寺となる。
1560年、桶狭間の戦いで今川軍は織田信長軍に破れ敗走。松平元康(徳川家康)はここ大樹寺に逃げ帰り、先祖の墓前で自害しようとしたが、住職の登誉に諭されて思い留まった。
1615年、徳川家康は先祖松平八代廟所を寺内に建立。
1617年、徳川家康の一周忌が営まれ、現在の墓の姿が整ったとされます。
松平親忠(まつだいらちかただ)
生誕 永享3年(1431年)? 永享10年(1438年)?
死没 文亀元年8月10日(1501年9月22日)
父:松平信光、母:真浄院殿(一色満範の娘?)
1434年 or 1438年に松平氏第3代当主・松平信光の三男として誕生。
1488年頃に、父・信光が死去したために家督を継ぎ、安祥城主となる。(史料が残っておらず、はっきりしたことはわからず)
しかし、間もなく出家して西忠と号した。
1475年、親忠は大樹寺を創建。
1493年の井田野の戦いで中条氏らを破る。
1496年、松平長親に家督を譲り隠居。
1501年8月10日、死去。
【松平家】
※初代 親氏
※二代 泰親
※三代 信光
※四代 親忠
※五代 長親
※六代 信忠
※七代 清康
※八代 広忠
※九代 家康
大樹寺(だいじゅじ)
岡崎市鴨田町字広元5-1
電話 0564-21-3917
1475(文明7)年の出来事
1475年 松平親忠(まつだいらちかただ)が大樹寺(だいじゅじ)を創建
三河の松平親忠(まつだいらちかただ)が、1467年に尾張の軍勢との間で行われた戦いによる死者を弔うために大樹寺(愛知県岡崎市)を創建。
大樹寺(だいじゅじ)
1475年、三河の安城松平家の初代当主で、安祥城主の松平親忠(まつだいらちかただ)が戦死者供養のため、大樹寺を創建した。
大樹寺は松平親忠によって、松平家の菩提寺となる。
1560年、桶狭間の戦いで今川軍は織田信長軍に破れ敗走。松平元康(徳川家康)はここ大樹寺に逃げ帰り、先祖の墓前で自害しようとしたが、住職の登誉に諭されて思い留まった。
1615年、徳川家康は先祖松平八代廟所を寺内に建立。
1617年、徳川家康の一周忌が営まれ、現在の墓の姿が整ったとされます。
松平親忠(まつだいらちかただ)
生誕 永享3年(1431年)? 永享10年(1438年)?
死没 文亀元年8月10日(1501年9月22日)
父:松平信光、母:真浄院殿(一色満範の娘?)
1434年 or 1438年に松平氏第3代当主・松平信光の三男として誕生。
1488年頃に、父・信光が死去したために家督を継ぎ、安祥城主となる。(史料が残っておらず、はっきりしたことはわからず)
しかし、間もなく出家して西忠と号した。
1475年、親忠は大樹寺を創建。
1493年の井田野の戦いで中条氏らを破る。
1496年、松平長親に家督を譲り隠居。
1501年8月10日、死去。
【松平家】
※初代 親氏
※二代 泰親
※三代 信光
※四代 親忠
※五代 長親
※六代 信忠
※七代 清康
※八代 広忠
※九代 家康
大樹寺(だいじゅじ)
岡崎市鴨田町字広元5-1
電話 0564-21-3917
Posted by 夢子 at 11:11
│1475年