2014年11月24日
【応仁の乱】1469年1月、足利義尚が次期将軍に内定
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【応仁の乱】1468年11月、足利義視が東軍から西軍へ寝返る
1469年1月、足利義尚が次期将軍に内定
足利義視(あしかがよしみ)が西軍に寝返ったため、室町幕府8代将軍・足利義政(よしまさ)との対立が決定的になる。
これにより次期将軍に足利義政と正室・日野富子の子・足利義尚(あしかがよしひさ)が次期将軍に内定する。
日野富子はめちゃくちゃ嬉しかっただろうな。何しろ、この人は我が子を将軍にしかかったからね。
足利義尚が次期将軍に内定したことにより、京都には東の足利義尚幕府と西の足利義視幕府のふたつができることに。
つづく
⇒【応仁の乱】1471年、西軍の朝倉孝景が東軍に寝返る
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【応仁の乱】1468年11月、足利義視が東軍から西軍へ寝返る
1469年1月、足利義尚が次期将軍に内定
足利義視(あしかがよしみ)が西軍に寝返ったため、室町幕府8代将軍・足利義政(よしまさ)との対立が決定的になる。
これにより次期将軍に足利義政と正室・日野富子の子・足利義尚(あしかがよしひさ)が次期将軍に内定する。
日野富子はめちゃくちゃ嬉しかっただろうな。何しろ、この人は我が子を将軍にしかかったからね。
足利義尚が次期将軍に内定したことにより、京都には東の足利義尚幕府と西の足利義視幕府のふたつができることに。
つづく
⇒【応仁の乱】1471年、西軍の朝倉孝景が東軍に寝返る
Posted by 夢子 at 11:11
│応仁の乱