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2014年11月09日

【応仁の乱】1467年、東軍、西軍の兵が京都に集結

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icon51 【応仁の乱】1467年1月18日、御霊合戦(ごりょうがっせん)



【応仁の乱】1467年、東軍、西軍の兵が京都に集結

1467年、東軍、西軍の兵が京都に集結

応仁元年(1467年)1月の御霊合戦(ごりょうがっせん)は【西軍】畠山義就の勝利で終わった。その後はしばらくは表面上は平静が保たれたんだけど、その裏で【東軍】の細川勝元と【西軍】の山名宗全は領国から軍勢を集めたの。

表向きは平穏でも裏では着々に戦いの準備が進められたんだよね。最終的に細川方16万、山名方11万の兵が京に集結したの。


【東軍】細川勝元方
細川一族、畠山政長、斯波義敏(しばよしとし)、赤松政則(あかまつまさのり)、京極持清(きょうごくもちきよ)、武田国信(くにのぶ)ら総勢24か国16万人。

【西軍】山名宗全方
山名一族、畠山義就、斯波義廉(しばよしかど)、一色義直(いっしきよしなお)、土岐成頼(ときしげより)、六角高頼(ろっかくたかより)ら総勢20か国11万人。



この時の様子を、奈良興福寺の僧・尋尊(じんそん)は、『京都、ことのほか物騒』と書いているよ。

全国からたくさんの兵が集まってきたら、物騒だよね。


つづく
【応仁の乱】1467年5月、上京の戦い(かみぎょうのたたかい)


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Posted by 夢子 at 11:11 │応仁の乱