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2014年11月07日

【応仁の乱のきっかけ】将軍・足利義政、管領・畠山政長を罷免

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icon51 【応仁の乱のきっかけ】1466年12月、畠山義就が河内から出陣



【応仁の乱のきっかけ】将軍・足利義政、管領・畠山政長を罷免

将軍・足利義政、管領・畠山政長を罷免

応仁元年(1467年) 正月2日は、年の初めで、将軍が管領邸を訪れる日だったの。これは恒例なので、管領・畠山政長邸では準備を整え、将軍の訪問を待っていたの。でも、急に取りやめになり、そして、『しばらくの間、幕府に出てこなくていい』と言われてしまったの。

あまりの突然のことで畠山政長はびっくりしただろうね。

その3日後、畠山義就(よしなり)がなんと山内宗全の屋敷を借りて大宴会を開いたの。それには将軍・足利義政は出席したの。それも諸将も一緒に連れてね。

畠山義就は、畠山政長が住んでいる屋敷の受け渡しを将軍・足利義政を願い出て、それも認められたの。でも、畠山政長はそんなこと突然言われてもウンと言わないよね。自分が住んでいる家を突然明け渡せと言われてもね。それでイヤだときっぱり拒否したの。

そしたら、将軍・足利義政が怒ってね。『俺の言うことが聞けないのかicon101 畠山政長、おまえは管領も罷免だicon77』と。

これらはすべて山名宗全の差し金と言われている。


つづく
【応仁の乱】1467年1月18日、御霊合戦(ごりょうがっせん)


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Posted by 夢子 at 10:09 │応仁の乱