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2014年11月03日

【応仁の乱の背景】室町幕府8代将軍・足利義政

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icon51 【応仁の乱の背景】1441年嘉吉の乱(かきつのらん)




【応仁の乱の背景】室町幕府8代将軍・足利義政

室町幕府6代将軍・足利義教(よしのり)が暗殺されると、嫡男の義勝(よしかつ)が7代将軍に。

でも、義勝は9歳で満足な政治ができるはずもなく・・・。しかも2年後に亡くなってしまい。死因については落馬、暗殺説もあるけど、赤痢による病死説が有力。

幼い義勝に当然子どもはおらず、8代将軍には弟の足利義政(よしまさ)が就任。



【応仁の乱の背景】室町幕府8代将軍・足利義政

室町幕府8代将軍・足利義政(よしまさ)

父・6代将軍・義教、母・日野重子

兄・義勝の早世で、8歳で8代将軍となる。当初は管領・畠山持国、細川勝元が幕政を行なったが、その後は親政を強化、養育係の政所執事・伊勢貞親(さだちか)を中心に管領や守護大名を抑えた。

その後大名たちが共同して、1466年に伊勢貞親を失脚させると、義政の政治的基盤は弱体化。

1467年の畠山氏の家督争いについては実力による解決を容認。

1473年、嫡子・義尚(よしひさ)に将軍職を譲るが、義尚の政務には関与し続けた。


続く
【応仁の乱の背景】足利将軍家の後継問題



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Posted by 夢子 at 12:05 │応仁の乱