【応仁の乱】1477年11月11日、西軍の武将たちが領地に帰還し引き分けに
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【応仁の乱】1474年4月3日、東軍・細川政元と西軍・山名政豊が和睦
1477年11月11日、西軍の武将たちが領地に帰還し引き分けに
文明9年(1477年)9月22日、
【西軍】の主力・
畠山義就が
【東軍】畠山政長の追討を名目に河内に下国。
11月11日には
【西軍】大内政弘をはじめとする諸将らが帰還。これによって西軍は解散状態となり、戦いは決着がつかないまま引き分けに終わった。
畠山義就や大内政弘が京から徹底するにあたり、
日野富子が自身の蓄財から莫大な徹底費用をねん出したと言われている。
日野富子は応仁の乱で、東軍、西軍関係なく軍費を高利で貸し付け財を蓄えた。戦乱で苦しみ民衆をよそに金儲けに走ったが、いっぽうでは一日も早く京の平穏を取り戻すために畠山義就や大内政弘が撤退するための費用を出したようだ。
つづく
⇒
【応仁の乱】1477年11月20日、11年におよび応仁の乱終結
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