【応仁の乱】1474年4月3日、東軍・細川政元と西軍・山名政豊が和睦

夢子

2014年11月30日 11:11

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【応仁の乱】1473年12月19日、足利義尚が将軍に就任





1474年4月3日、東軍・細川政元と西軍・山名政豊が和睦


文明6年(1474年)4月3日、【東軍】細川勝元の家督を継いだ細川政元(まさもと)と【西軍】山名宗全の家督を継いだ山名政豊(まさとよ)が協議した結果、両者の間で和睦が成立。

山名政豊が東軍にくだるということにして京都での戦争を終わらせた。

しかし、応仁の乱の導火線となった畠山義就畠山政長の私闘は止まず、また足利義政足利義視の間も和解していなかったので、京都に残っている両軍は小競り合いを続けていた。

【東軍】
細川政元、畠山政長、赤松政則

【西軍】
畠山義就、大内政弘



つづく
【応仁の乱】1477年11月11日、西軍の武将たちが領地に帰還し引き分けに

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