【応仁の乱】1472年1月、和議決裂

夢子

2014年11月26日 11:11

トップ > サイトマップ >


前のページのつづき
【応仁の乱】1471年、西軍の朝倉孝景が東軍に寝返る





1472年1月、和議決裂


西軍の主力だった朝倉孝景(あさくらたかかげ)が東軍に寝返ったことで、東軍は有利となる。

文明4年(1472年)、【西軍】山名宗全は戦いを終息させるため、【東軍】細川勝元に和議を提案。

西軍は山名宗全と同様に畠山義就(はたけやまよしなり)大内政弘(おおうちまさひろ)といった守護たちも和睦に賛成。しかし、【東軍】細川勝元側に反対する勢力があったため、なかなか決まらず、結局、交渉は決裂。



長引く戦いで、武将たちも大変だったの。京都周辺で激闘を繰り返しているとき、彼らの国許が平穏であったわけではなく。戦乱のどさくさに紛れて、土民たちが一揆を起こし、守護配下の地つきの武士に抵抗したり・・・。

京への兵糧輸送が途切れたり・・・ 国許での政変の危機も濃くなり、京都の戦場からからこっそり離脱して国許に帰る武士も出てきたの。


つづく
【応仁の乱】1473年3月18日、西軍・山名宗全死去

関連記事