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2014年12月02日

【応仁の乱】1477年11月20日、11年におよび応仁の乱終結

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icon51 【応仁の乱】1477年11月11日、西軍の武将たちが領地に帰還し引き分けに





1477年11月20日、11年におよび応仁の乱終結


文明9年(1477年)11月20日、幕府によって『天下静謐(てんかせいひつ)』の祝宴が催され、足利義政は京にとどまっていた東軍諸将と会見し、戦いの終結を祝福。ここに11年に及ぶ大乱の幕が降ろされた。

この後将軍や守護といった室町幕府の権威はさらに失墜。全国各地で下剋上が起こり、戦国時代が到来することに。



【応仁の乱のその後】

延徳元年(1489年)3月、室町幕府9代将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)が死去。これを知った8代将軍・足利義政の弟・義視(よしみ)は、わが子・義稙(よしたね)を将軍に継がせようとする。翌1490年、足利義政が亡くなったため、足利義稙が室町幕府10代将軍に。

このころ、管領として権勢を振るっていたのは細川政元(まさもと)。細川勝元は初めは足利義稙を補佐していたが、義稙が成長するにつれて二人の折り合いが悪くなる。

明応2年(1493年)、細川政元は足利義稙に叛き、足利義政の弟・政知(まさとも)の子で僧の清晃(せいこう、のちの義澄(よしずみ))を将軍にしようと画策する。

そこで足利義稙は河内の守護・畠山政長に保護を求めた。それを知った細川政元は直ちに畠山政長の根城を攻略し畠山政長を自害させ、足利義稙を京都に連れ戻して幽閉した。そして細川政元は思い通り足利義澄を室町幕府11代将軍に就けた。

これにより細川政元はますます権威を振り回し、ついには自分が擁立した将軍・義澄とも衝突。家臣からも恨みを買うようになった。

細川政元には3人の養子がいた。澄之(すみゆき)、澄元(すみもと)、高国(たかくに)。

1507年、細川澄之、養父・政元を殺す。細川澄之は澄元も殺そうとしたが、澄元は近江に逃れ難を逃れた。ところが、その直後、澄之は高国に殺される。澄元が京都に戻り、政元の跡を継いだ。

1507年、細川澄之、養父・政元を殺す
1507年、細川高国、澄之を殺す


細川内部の跡目争いの最中、足利義稙は周防山口の大内軍と和泉堺に上陸。このため、将軍・義澄と細川澄元は近江に逃げる。それを細川高国が出迎え、足利義稙は再び将軍に。そして細川高国は細川宗家を継ぎ、管領に。

1508年、足利義稙、再び将軍就任
1508年、細川高国、管領に就任


政局の安定もつかの間。今度は細川高国と将軍・足利義稙が権威を張り合うようになり、足利義稙は突然堺に逃走。
細川高国はかつて敵であった前将軍・足利義澄の遺児・義晴を将軍に就けた。

1521年、室町幕府12代将軍に足利義晴就任

細川高国は足利義晴を将軍に就け、しばらくは栄華の日を送っていたが、阿波の三好氏が攻めてきたため、足利義晴を連れて近江に逃れた。
三好元長は将軍・足利義晴の弟・義維(よしつな)と細川晴元を担いでおり、高国は細川晴元に決戦を挑んだが敗れ、のちに自刃した。

1531年、細川高国、細川晴元に殺される

細川高国が滅び、将軍・足利義晴も上京し、細川晴元が管領となり、京都は安泰に。しかし、足利義晴が隠居し、その子・義輝(よしてる)が13代将軍に就くと、管領・細川晴元の家臣で、主家をしのぐ勢力を持つようになった三好長慶(ながよし)らが叛意を見せるようになる。

1546年、室町幕府13代将軍に足利義輝就任

前将軍・足利義晴と管領・細川晴元が対立。その間に三好長慶が京を占領し、細川高国の養子・氏綱(うじつな)が管領に就いた。
足利義晴、義輝親子は近江に逃げる。

1552年、細川氏綱、管領に就任(室町幕府最後の管領)
1560年、桶狭間の戦い


将軍・足利義輝は和議を結び京に戻るが、その後もにらみ合いは続く。足利義輝は三好義継(長慶の子)とその家臣・松永久秀らの手で殺された。義輝の弟・覚慶(のちの義昭)は細川藤孝らの許に身を寄せた。

1565年、将軍・足利義輝自刃
1568年、室町幕府14代将軍に足利義栄就任
1568年、室町幕府15代将軍に足利義昭就任
1573年、室町幕府滅びる


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