【応仁の乱】1467年10月3日、相国寺の戦い
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【応仁の乱】1467年9月18日、南禅寺山で交戦
1467年10月3~4日、相国寺の戦い(しょうこくじのたたかい)
【西軍】は、
【東軍】細川勝元の邸宅と
室町殿(将軍の邸宅)を分断しようと、室町殿、相国寺、内裏に向けて進軍を開始。
【西軍】畠山義就(はたけやまよしなり)・大内政弘(おおうちまさひろ)・一色義直(いっしきよしなお)らの軍勢が朝倉孝景(あさくらたかかげ)らと合流して、相国寺及び周辺の東軍に攻めかかったの。
相国寺には【東軍】細川勝元の子・
細川勝之(ほそかわかつゆき)と勝元の家臣・
武田信賢(たけだのぶかた)らが守っていたけど、激戦の末に【西軍】が【東軍】を退却させて相国寺を焼き討ち。そして室町殿も半分焼き落としたの。
【東軍】は一度は退却したけど、
畠山政長らの援軍を得て反撃。でも両軍ともに消耗が激しくまたもや決着がつかず。
二日間における相国寺の戦いは両軍とも多くの死者を出し終わったの。応仁の乱の中で一番激しい戦いだったの。
つづく
⇒
【応仁の乱】1468年、西軍、東軍ともに守備を強化する
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