【応仁の乱】1467年5月、上京の戦い(かみぎょうのたたかい)

夢子

2014年11月10日 12:00

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【応仁の乱】1467年、東軍、西軍の兵が京都に集結





1467年5月、上京の戦い(かみぎょうのたたかい)

応仁元年(1467年)5月24日
若狭などの守護を務める【東軍】武田信賢(のぶかた)は実相院を、【東軍】畠山政長の側近・成身院光宣(じょうしんいんこうせん)が正実坊を占拠し、【西軍】一色義直(いっしきよしなお)の屋敷を急襲したの。一色義直は反撃できず、西軍の大将・山名宗全の屋敷に逃げたんだけど、これを皮きりにに5月26日から27日にかけて各地で両軍が衝突。

【東軍】細川勝元の一族である備中守護・細川勝久(かつひさ)の屋敷には、【西軍】斯波義廉(しばよしかど)の家臣・朝倉孝景(あさくらたかかげ)甲斐敏光(かいとしみつ)らが攻めるが、赤松政則(あかまつまつのり)が加勢に駆けつけ、朝倉孝景らを退却された。
屋敷で抵抗していた細川勝久は屋敷を焼いて脱出し、一族の阿波守護・細川成之(しげゆき)の屋敷へ逃れた。



【東軍・・・細川方】
武田信賢(たけだのぶかた)
成身院光宣(じょうしんいんこうせん)
細川勝久(ほそかわかつひさ)
赤松政則(あかまつまつのり)


【西軍・・・山名方】
一色義直(いっしきよしなお)
斯波義廉(しばよしかど)
朝倉孝景(あさくらたかかげ)
甲斐敏光(かいとしみつ)




つづく
1467年5月28日、将軍・足利義政が停戦命令を出す

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