1485年 山城の国一揆勃発

夢子

2015年07月03日 06:55

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1485年 山城の国一揆勃発


山城国南部(京都府南部)で国人と呼ばれる土着の武士と農民たちを中心とした大規模な一揆。


応仁の乱の終結後も各地で守護大名同士の小競り合いは続いていた。

山城国南部では応仁の乱の原因のひとつともなった畠山政長と畠山義就との家督争いが続いており、この年の10月以来、両軍が対陣してこう着状態となっていた。

これに迷惑していた国人、農民たちは宇治の平等院に集まり評定をもった。この評定が『国中掟法』を取り決め、両軍への撤退を要求。受け入れられなければ武力闘争も辞さない構えを見せた。

両畠山家はこれを受け入れ撤退。

山城国南部では以後8年間にわたって、一揆指導者らによる自治的支配が行われた。



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