1472年 【応仁の乱】西軍の和平案を東軍が拒否
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1472(文明4)年の出来事
1472年 【応仁の乱】
西軍・山名宗全の和平案を東軍・細川勝元が拒否
1467年から始まった応仁の乱。 ⇒
1467年1月18日、御霊合戦(ごりょうがっせん)
東軍は細川勝元を大将に、西軍は山名宗全を大将に戦っていましたが、1472年に入ると東軍・細川勝元と西軍・山名宗全の間で和議の話し合いがもたられるようになりました。
しかし、山名氏と対立する
東軍・赤松政則(あかまつまさのり)の抵抗により失敗。
応仁の乱は両軍の大将・細川勝元と山名宗全の死により終結するが、赤松政則は最後の最後まで講和に反対。理由は応仁の乱直後に赤松家の旧領であった播磨・備前・美作を奪回した3か国を応仁の乱終結により失うのを恐れたためだが、乱終結後、領国は安堵されました。
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