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2014年11月08日

【応仁の乱】1467年1月18日、御霊合戦(ごりょうがっせん)

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icon51 【応仁の乱のきっかけ】足利義政、管領・畠山政長を罷免





畠山家の当主の地位を奪われた政長は自分の屋敷に火をかけて、上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)に陣取ったの。これは1467年1月17日の説と18日説があるよ。どちらにしても戦いの前に政長は自分の家を焼いて、約2,000の兵を率いて上御霊神社に陣取ったのは確かだよ。

1月17日、将軍・足利義政細川勝元に、『畠山政長に加勢するのはダメだ』と命令。すると細川勝元は『山名宗全畠山義就(よしなり)に加勢しないなら俺も畠山政長に加勢しない』と山名宗全の畠山義就援助中止を条件に承諾したの。






応仁元年(1467年)1月18日 御霊合戦(ごりょうがっせん)

【東軍】畠山政長と【西軍】畠山義就が上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)で激突。

【西軍】畠山義就の勝利。




【東軍】畠山政長が上御霊神社に陣取ると、【西軍】畠山義就も宿敵・政長を討ち取るため軍勢を率いて上御霊神社に進軍。政長軍を圧倒し退却に追い込んだ。

政長軍は必死に戦ったけど、頼りにしていた細川勝元の加勢はなく孤軍奮闘したけど、義就軍の攻撃に耐えられずに逃げ延びたの。細川勝元に屋敷に逃げたの。



上御霊神社(御霊神社)
京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495番地

※『応仁の乱勃発地』の碑あり。京中の者 ちまたに立て合戦を現物



つづく
【応仁の乱】1467年、東軍、西軍の兵が京都に集結


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