1471年 蓮如が布教拠点として吉崎御坊を建立

夢子

2015年01月28日 11:11

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1471(文明3)年の出来事





1471年 蓮如(れんにょ)が布教拠点として吉崎御坊(よしざきごぼう)を建立


浄土真宗本願寺派の8代宗主・蓮如(れんにょ)は、近畿地方で活発な布教活動を行ったことで、天台宗の総本山である比叡山延暦寺の怒りを買い京を追われる。

文明3年(1471年)7月、越前に布教拠点として吉崎御坊(よしざきごぼう、福井県金津町)を建立。この地で蓮如は教義を民衆にわかりやすく説き、吉崎御坊には加賀や越中から多くの門徒が集まった。吉崎一帯には坊舎や門徒の宿坊が立ち並び多いににぎわうこととなった。




蓮如(れんにょ)

浄土真宗本願寺派第8世

本願寺中興の祖、本願寺を再興し、現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築く



本願寺は1272年、親鸞の末娘・覚信尼(かくしんに)が親鸞の遺骨を納めるために京都・東山大谷に建てたもの。当初は『大谷御影堂』と呼ばれていた。その後、親鸞のひ孫・覚如(かくにょ)が『本願寺』と名づけた。

本願寺は当初それほど信徒は多くなく、また蓮如が生まれたころの本願寺は、青蓮院の末寺に過ぎなかった。他宗や浄土真宗他派の興隆に対し、衰退の極みにあった。

しかし、8世蓮如の時代に、熱心な布教活動と末寺・門徒の組織化が活発に行われ、大きく発展した。


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