1484年 浦上則宗が主君・赤松政則の家督譲渡を幕府に申請

夢子

2015年05月25日 11:11

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1484(文明16)年の出来事





1484年 浦上則宗が主君・赤松政則の家督譲渡を幕府に申請


備前の守護・赤松政則(あかまつまさのり)は播磨をめぐり、但馬守護の山名政豊と戦っていたが、1483年12月の戦いで大敗。これに失望した家臣たちが謀反を起こし、主君・赤松政則を、家臣の浦上則宗(うらがみのりむね)が追い出した。

浦上則宗は赤松政則の守護職と家督の廃位し、新たに赤松分家の有馬慶寿丸(ありまけいじゅまる)を家督相続者とすることを幕府に申請。

赤松家内紛に乗じて、山名政豊に襲撃され、浦上則宗らは追いつめられる。前将軍・足利義政が仲介に乗り出したこともあり、赤松政則と浦上則宗は和解。




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