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2015年02月23日

1474年 太田道灌が『武州江戸歌合』を開催

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1474年 太田道灌(おおたどうかん)が『武州江戸歌合』を開催




太田道灌(おおたどうかん)

生誕  永享4年(1432年)
死没  文明18年7月26日(1486年8月25日)

父:太田資清、母:長尾景仲の娘

1432年、鎌倉公方を補佐する関東管領上杉氏の一族である扇谷上杉家の家宰を務めた太田資清の子として誕生。足利学校で学ぶ。

1456年、父・太田資清から家督を相続。

その後、房総の千葉氏を抑えるため、太田道灌は、江戸氏の領地であった武蔵国豊嶋郡に江戸城を築城した。

太田道灌は築城家、兵術家、政治家とさまざまな分野で活躍。父の影響で歌道にも精通しており飛鳥井雅親・万里集九などと交流。

1474年、連歌師・心敬を江戸城に招いて『武州江戸歌合』開催。

1468年 心敬の随筆本『ひとりごと』完成







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