› 応仁の乱~戦国乱世を可愛らしく表現 › 1474年 › 1474年 【応仁の乱】東軍・細川政元と西軍・山名政豊が和睦

2015年02月20日

1474年 【応仁の乱】東軍・細川政元と西軍・山名政豊が和睦

トップ > サイトマップ >



icon51 1474(文明6)年の出来事



1474年 【応仁の乱】東軍・細川政元と西軍・山名政豊が和睦

1474年 【応仁の乱】
東軍・細川政元と西軍・山名政豊が和睦




文明6年(1474年)4月3日

【東軍】細川勝元の家督を継いだ細川政元(まさもと)と【西軍】山名宗全の家督を継いだ山名政豊(まさとよ)が協議した結果、両者の間で和睦が成立。

山名政豊が東軍にくだるということにして京都での戦争を終わらせた。

しかし、応仁の乱の導火線となった畠山義就と畠山政長の私闘は止まず、また足利義政と足利義視の間も和解していなかったので、京都に残っている両軍は小競り合いを続けていた。

【東軍】
細川政元、畠山政長、赤松政則

【西軍】
畠山義就、大内政弘



同じカテゴリー(1474年)の記事画像
1474年 公家・山科言国の日記『言国卿記』記述開始
1474年 朝鮮が室町幕府へ牙符を発給
1474年 太田道灌が『武州江戸歌合』を開催
1474年 一休宗純が大徳寺の住職に就任
1474年 三条西実隆が日記『実隆公記』記述開始
同じカテゴリー(1474年)の記事
 1474年 公家・山科言国の日記『言国卿記』記述開始 (2015-02-24 11:11)
 1474年 朝鮮が室町幕府へ牙符を発給 (2015-02-24 11:11)
 1474年 太田道灌が『武州江戸歌合』を開催 (2015-02-23 11:11)
 1474年 一休宗純が大徳寺の住職に就任 (2015-02-19 11:11)
 1474年 三条西実隆が日記『実隆公記』記述開始 (2015-02-18 11:11)

Posted by 夢子 at 11:11 │1474年