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2015年02月18日

1474年 三条西実隆が日記『実隆公記』記述開始

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1474年 公家・三条西実隆が日記『実隆公記(さねたかこうき)』記述開始


三条西実隆(さんじょうにしさねたか)

生誕  康正元年4月25日(1455年5月11日)
死没  天文6年10月3日(1537年11月5日)

父:三条西公保、母:甘露寺房長の娘

三条西実隆は後土御門天皇、後柏原天皇、後奈良天皇三代の天皇に仕え、また学者、歌人、能書家としても知られている。

日記『実隆公記(さねたかこうき)』は、1474年から1536年まで62年間にわたり綴られた日記で、京都の朝廷、公家や戦国大名の動向、和歌、古典の書写など多岐に及ぶ。

自筆本が現存し、1995年に重要文化財に指定された。




三条西実隆は古典学万般の世界に幅広い知見を誇った当代最高の知識人として、応仁の乱後、文化再興に多大な功績を残した。



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