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2015年01月22日

1470年 後花園法皇死去

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1470年 後花園法皇死去



後花園天皇(ごはなぞのてんのう)

室町時代の第102代天皇

在位  正長元年7月28日(1428年9月7日)~寛正5年7月19日(1464年8月21日)

誕生  応永26年6月18日(1419年7月10日)
崩御  文明2年12月27日(1471年1月18日)



後花園天皇が在位中、各地で農民や地侍の一揆が起こった。また『永享の乱』『嘉吉の乱』なども起きたが、これらに対して綸旨を発するなど政治的な役割を積極的に果たされた。

寛正元年(1460年)~寛正2年(1461年)に疫病、飢饉があり、人民が困苦していたにもかかわらず、将軍・足利義政は宴遊にふけったうえ、土木事業を行ない、その費用を人民から徴収した。

これを見た後花園天皇は、

残民(ざんみん)争いて首陽の蕨(わらび)を採る
処々炉を閉ざし竹扉(ちくひ)を鎖(とざ)す 
詩興吟()は酸なりぎんずれ春二月 
満城の紅緑誰のために肥ゆる


という詩をつくり将軍・足利義政の贅沢をいましめました。

後花園天皇は、寛正5年(1464年)、成仁親王(後土御門天皇)へ譲位して上皇となり院政を行ないました。『応仁の乱』が起こると中立の姿勢を保ち、京を戦場とする戦に最後まで反対の姿勢を貫きました。そんな中、病を発し亡くなられました。





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