› 応仁の乱~戦国乱世を可愛らしく表現 › 1479年
2015年04月07日
1479年 後土御門天皇が12年ぶりに内裏に戻り生活
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1479(文明11)年の出来事
1479年 後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)が12年ぶりに内裏に戻り生活
後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)
第103代天皇
在位 寛正5年7月19日(1464年8月21日)~明応9年9月28日(1500年10月21日)
応仁の乱を避けるため、足利義政の室町第に約10年の間避難生活を強いられたが、応仁の乱は終わり、天皇が内裏に戻られた。
1479(文明11)年の出来事
1479年 後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)が12年ぶりに内裏に戻り生活
後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)
第103代天皇
在位 寛正5年7月19日(1464年8月21日)~明応9年9月28日(1500年10月21日)
応仁の乱を避けるため、足利義政の室町第に約10年の間避難生活を強いられたが、応仁の乱は終わり、天皇が内裏に戻られた。
2015年04月06日
1479年 『益田兼堯(ますだかねたか)像』完成
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1479(文明11)年の出来事
1479年 『益田兼堯(ますだかねたか)像』完成
水墨画の雪舟が、益田兼堯(ますだかねたか)の肖像画を完成させる。
益田兼堯の家臣が、益田兼堯の長寿を祈るために雪舟に肖像画を依頼。
雪舟(せっしゅう)
室町時代後半の画僧。日本中世における水墨画の大成者。
幼少時に出家し上京して相国寺に入り、春林周藤に師事して禅僧となる。
大内氏の貿易船で中国にわたって絵を学び、帰国後は山口を拠点に活動していました。
益田兼堯(ますだかねたか)
室町時代後期の武将。
石見の国人領主益田氏当主で第15代七尾城(益田城)城主。
幕府の命を受けて西日本各地を転戦し、その功により幕府の要職につく。
1479(文明11)年の出来事
1479年 『益田兼堯(ますだかねたか)像』完成
水墨画の雪舟が、益田兼堯(ますだかねたか)の肖像画を完成させる。
益田兼堯の家臣が、益田兼堯の長寿を祈るために雪舟に肖像画を依頼。
雪舟(せっしゅう)
室町時代後半の画僧。日本中世における水墨画の大成者。
幼少時に出家し上京して相国寺に入り、春林周藤に師事して禅僧となる。
大内氏の貿易船で中国にわたって絵を学び、帰国後は山口を拠点に活動していました。
益田兼堯(ますだかねたか)
室町時代後期の武将。
石見の国人領主益田氏当主で第15代七尾城(益田城)城主。
幕府の命を受けて西日本各地を転戦し、その功により幕府の要職につく。
2015年04月03日
1479年 京の町人が赤松政則の家臣を妻敵討ち(めがたきうち)
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1479(文明11)年の出来事
1479年 京の町人が赤松政則の家臣を妻敵討ち(めがたきうち)
妻敵討ち(めがたきうち)
本夫が妻と不倫した男(妻と密通した男)を殺害すること
京で酒屋を営む小原某が、妻と不倫した赤松正則の家臣を殺害。
当初、赤松側は加害者・小原某を死罪にするのが慣例だと主張。しかし判決では夫を裏切った妻に罪があるとして小原の妻を死罪に。
1479(文明11)年の出来事
1479年 京の町人が赤松政則の家臣を妻敵討ち(めがたきうち)
妻敵討ち(めがたきうち)
本夫が妻と不倫した男(妻と密通した男)を殺害すること
京で酒屋を営む小原某が、妻と不倫した赤松正則の家臣を殺害。
当初、赤松側は加害者・小原某を死罪にするのが慣例だと主張。しかし判決では夫を裏切った妻に罪があるとして小原の妻を死罪に。
2015年04月02日
1479年 渋川教直(しぶかわのりなお)が死去
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1479(文明11)年の出来事
1479年 渋川教直(しぶかわのりなお)が死去
渋川教直(しぶかわのりなお)
足利氏の一門渋川家にうまれる。
父・渋川満直が少弐一族に討たれたため、13歳で九州探題職を継承。
周防の大内家と協力を受けながら小弐家と戦い、1468年少弐教頼(のりより)を自刃に追い込み、父の仇をとる。
九州探題在職期間は45年で歴代最長。
1479(文明11)年の出来事
1479年 渋川教直(しぶかわのりなお)が死去
渋川教直(しぶかわのりなお)
足利氏の一門渋川家にうまれる。
父・渋川満直が少弐一族に討たれたため、13歳で九州探題職を継承。
周防の大内家と協力を受けながら小弐家と戦い、1468年少弐教頼(のりより)を自刃に追い込み、父の仇をとる。
九州探題在職期間は45年で歴代最長。
2015年04月01日
1479年 連歌論書『老のすさみ』完成
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1479(文明11)年の出来事
1479年 宗祇の連歌論書『老のすさみ』完成
宗祇(そうぎ)
室町後期の連歌師・古典学者。
連歌を宗砌・専順・心敬らに学ぶ。
和歌を飛鳥井雅親に学ぶ。
故実を一条兼良に学び、東常縁から古今伝授を受ける。
編著「新撰菟玖波集」「竹林抄」「老のすさみ」「吾妻問答」「萱草(わすれぐさ)」など。
1479(文明11)年の出来事
1479年 宗祇の連歌論書『老のすさみ』完成
宗祇(そうぎ)
室町後期の連歌師・古典学者。
連歌を宗砌・専順・心敬らに学ぶ。
和歌を飛鳥井雅親に学ぶ。
故実を一条兼良に学び、東常縁から古今伝授を受ける。
編著「新撰菟玖波集」「竹林抄」「老のすさみ」「吾妻問答」「萱草(わすれぐさ)」など。
2015年03月31日
1479年 後土御門天皇が日野富子に略装での参内を許可
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1479(文明11)年の出来事
1479年 後土御門天皇が日野富子に略装での参内を許可
後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)が権勢を誇っていた日野富子(ひのとみこ)を宴席に招く。
急な招待のため正装が揃わないと申し出ると、天皇は打掛姿での参内を許可する。
1479(文明11)年の出来事
1479年 後土御門天皇が日野富子に略装での参内を許可
後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)が権勢を誇っていた日野富子(ひのとみこ)を宴席に招く。
急な招待のため正装が揃わないと申し出ると、天皇は打掛姿での参内を許可する。