2015年02月24日

1474年 公家・山科言国の日記『言国卿記』記述開始

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1474年 公家・山科言国の日記『言国卿記(ときくにきょうき)』記述開始



山科言国(やましなときくに)

生誕  享徳元年(1452年)
死没  文亀3年2月28日(1503年3月26日)



言国卿記(ときくにきょうき)

山科言国が1474年から1502年までの28年近くに及ぶ日記。一部欠落があるが、応仁の乱期の京都や朝廷、幕府などの動向などを知ることができる貴重な史料。

  

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2015年02月24日

1474年 朝鮮が室町幕府へ牙符を発給

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1474年 朝鮮が室町幕府へ牙符(がふ)を発給


牙符制(がふせい)

当時、室町幕府は朝鮮に正式な外交使節を派遣して貿易を行なっていたが、偽りの使節も紛れ込んでいたため、対応策として、室町幕府第8代将軍・足利義政は象牙を半割りにした割符をもって使節の査証を行なう牙符制を提案。

これに朝鮮も同意。朝鮮から室町幕府に牙符と呼ばれる象牙の割符が発給された。

1474年、朝鮮王朝から室町幕府へ牙符発給。
1482年、牙符を携行した最初の日本国王使が通交することで牙符制発効。
1504年、牙符改給。

※牙符制は文禄・慶長の役まで続く。

  

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2015年02月23日

1474年 太田道灌が『武州江戸歌合』を開催

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1474年 太田道灌(おおたどうかん)が『武州江戸歌合』を開催




太田道灌(おおたどうかん)

生誕  永享4年(1432年)
死没  文明18年7月26日(1486年8月25日)

父:太田資清、母:長尾景仲の娘

1432年、鎌倉公方を補佐する関東管領上杉氏の一族である扇谷上杉家の家宰を務めた太田資清の子として誕生。足利学校で学ぶ。

1456年、父・太田資清から家督を相続。

その後、房総の千葉氏を抑えるため、太田道灌は、江戸氏の領地であった武蔵国豊嶋郡に江戸城を築城した。

太田道灌は築城家、兵術家、政治家とさまざまな分野で活躍。父の影響で歌道にも精通しており飛鳥井雅親・万里集九などと交流。

1474年、連歌師・心敬を江戸城に招いて『武州江戸歌合』開催。

1468年 心敬の随筆本『ひとりごと』完成





  

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2015年02月20日

1474年 【応仁の乱】東軍・細川政元と西軍・山名政豊が和睦

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1474年 【応仁の乱】
東軍・細川政元と西軍・山名政豊が和睦




文明6年(1474年)4月3日

【東軍】細川勝元の家督を継いだ細川政元(まさもと)と【西軍】山名宗全の家督を継いだ山名政豊(まさとよ)が協議した結果、両者の間で和睦が成立。

山名政豊が東軍にくだるということにして京都での戦争を終わらせた。

しかし、応仁の乱の導火線となった畠山義就と畠山政長の私闘は止まず、また足利義政と足利義視の間も和解していなかったので、京都に残っている両軍は小競り合いを続けていた。

【東軍】
細川政元、畠山政長、赤松政則

【西軍】
畠山義就、大内政弘

  

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2015年02月19日

1474年 一休宗純が大徳寺の住職に就任

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1474年 一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が大徳寺の住職に就任


大徳寺は1453年の火災と応仁の乱で建物が焼失。1474年、一休宗純は後土御門天皇の命により大徳寺の47代目の住職に就任。

一休宗純は住職になっても寺には住まなかったものの、堺の商人たちの援助を受けて再興に尽力し、5年後には主要な建物を完成された。



一休さんの説話のモデルと知られている一休宗純。その生涯に様々な説話を残した事から江戸時代に説話『一休咄』が作られ、頓知で有名となる。

『一休咄』は作者不詳で民衆の願いを歴史上の人物に仮託した読み物で、史実とは言い難い。





仏界、入り易く、魔界、入り難し。「風狂」の僧、「人間」一休宗純の「生」の軌跡を詩偈のなかによみとき、その実像にせまる。

  

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2015年02月18日

1474年 三条西実隆が日記『実隆公記』記述開始

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1474年 公家・三条西実隆が日記『実隆公記(さねたかこうき)』記述開始


三条西実隆(さんじょうにしさねたか)

生誕  康正元年4月25日(1455年5月11日)
死没  天文6年10月3日(1537年11月5日)

父:三条西公保、母:甘露寺房長の娘

三条西実隆は後土御門天皇、後柏原天皇、後奈良天皇三代の天皇に仕え、また学者、歌人、能書家としても知られている。

日記『実隆公記(さねたかこうき)』は、1474年から1536年まで62年間にわたり綴られた日記で、京都の朝廷、公家や戦国大名の動向、和歌、古典の書写など多岐に及ぶ。

自筆本が現存し、1995年に重要文化財に指定された。




三条西実隆は古典学万般の世界に幅広い知見を誇った当代最高の知識人として、応仁の乱後、文化再興に多大な功績を残した。

  

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