2015年02月06日

1472年 医学書『霊蘭集』完成

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1472年 医学書『霊蘭集(れいらんしゅう)』完成


応仁の乱が続く中、東軍の大将・細川勝元が医学書『霊蘭集(れいらんしゅう)』完成。

医学に深い関心を持っていた細川勝元は、和漢の医学書を項目ごとに整理しわかりやすくまとめたもの。実際の治療に役立つ処置法なども記載されている。



細川勝元(ほそかわかつもと)

生誕 永享2年(1430年)
死没 文明5年5月11日(1473年6月6日)


1430年、細川持之の嫡男として生まれる。
1442年8月、父が死去したため、13歳で家督を継承した。叔父の細川持賢に後見されて摂津・丹波・讃岐・土佐の守護となった。
1445年、畠山持国に代わって16歳で管領に就任すると、以後3度に渡って通算23年間も管領職を歴任し、幕政に影響力を及ぼし続けた。





  

Posted by 夢子 at 11:111472年

2015年02月05日

1472年 源氏物語の解説書『花鳥余情』完成

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1472年 源氏物語の解説書『花鳥余情(かちょうよせい)』完成


花鳥余情(かちょうよせい、かちょうよじょう)

一条兼良(いちじょうかねら)による源氏物語の注釈書。

一条兼良は公家として最高の位置(公卿)にありながら、古典学者としても才能を発揮。

1467年に応仁の乱が勃発すると一条室町の邸宅と書庫『桃花坊文庫』が焼失。一条兼良は翌年8月に子の尋尊を頼り奈良興福寺大乗院に身を寄せる。奈良で『花鳥余情』を完成させる。

一条兼良は当時の人々から『日本無双の才人』と称された。





一条兼良の生涯と室町文化

  

Posted by 夢子 at 11:111472年

2015年02月04日

1472年 朝倉孝景が越前を支配

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1472年 朝倉孝景が越前を支配

越前守護・斯波氏の重臣として実権を握っていた朝倉孝景(あさくらたかかげ)が、応仁の乱で西軍として戦っていた斯波義廉(しばよしかね)を裏切り、東軍・細川勝元と手を結び、主君を追放。越前を支配することに。





朝倉孝景(あさくらたかかげ)

生誕 応永35年4月19日(1428年6月2日)
死没 文明13年7月26日(1481年8月21日)

主君斯波義敏→義寛→義廉

朝倉氏の先祖は日下部氏嫡流を称する但馬の古代武士団であり、当時は越前(福井県)の豪族であったが、南北朝時代を経て越前守護・斯波氏の重臣となった。





一乗谷朝倉館

『朝倉始末記』によると1471年に朝倉孝景(あさくらたかかげ)によって越前一乗谷(福井県福井市)に築かれた居館と城下町。

足羽川の支流である一乗谷川が形づくった細長い谷に、朝倉家当主が住む館を中心として、家臣が集住する城下町が造成された。

孝景から5代にわたって、朝倉家の本拠地となり、越前の政治、文化の中心として繁栄。

1573年、朝倉義景の代に織田信長の侵攻により、館と城下町が焼き払われ、朝倉家は滅亡。


一乗谷朝倉氏遺跡資料館
福井市安波賀町4-10
  

Posted by 夢子 at 11:111472年

2015年02月03日

1472年 【応仁の乱】西軍の和平案を東軍が拒否

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1472年 【応仁の乱】

西軍・山名宗全の和平案を東軍・細川勝元が拒否




1467年から始まった応仁の乱。 ⇒1467年1月18日、御霊合戦(ごりょうがっせん)

東軍は細川勝元を大将に、西軍は山名宗全を大将に戦っていましたが、1472年に入ると東軍・細川勝元と西軍・山名宗全の間で和議の話し合いがもたられるようになりました。

しかし、山名氏と対立する東軍・赤松政則(あかまつまさのり)の抵抗により失敗。

応仁の乱は両軍の大将・細川勝元と山名宗全の死により終結するが、赤松政則は最後の最後まで講和に反対。理由は応仁の乱直後に赤松家の旧領であった播磨・備前・美作を奪回した3か国を応仁の乱終結により失うのを恐れたためだが、乱終結後、領国は安堵されました。


  

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